ばいにゃこさん紹介

富山のばいにゃこさん 項目 説明
誕生日 1740年10月11日
年齢 277歳
職業 ゆるキャラ
好き 子供 グルメ全般 金 カップヌードルラブ
苦手 意識高い系 お嫁様 アンチに災いあれ
病気 ソシャゲ中毒 椎間板ヘルニア
性格
化け猫なのか神様なのかよくわからない存在(自称:猫神様)。

寛延2年10月11日(1749年10月11日)に転生、元は富山の薬売商人に飼われていた猫だったらしい。

当時の飼い主(売薬さん)の影響で「人々の健康に奉仕することが仏に仕える道である」という信仰心に目覚める。

売薬さんと共に乏しき者を救済せんと歩んだ旅を続けたが

とある寺の尼から褒美に貰った霊薬を食べて身の丈六尺の化け猫(猫神様)になってしまう。

平成26年7月9日(2014年7月9日)、空腹で力尽きようとしていたところを旅の一家に助けられる。

以来、旅の一家のうるずさん家に居候。

大の子供好きだが、奇怪な容姿のため子供たちから怖がられている事をうるずさんに相談したところ

「富山県のゆるキャラって設定で活動すればいいんじゃね?」という話になり

ゆるキャラ活動をはじめることになる。

ゆるキャラとして子供達を触れ合える時間を何より楽しみにしている。

なお普段は生活費を稼ぐ為、うるずさんにこき使われており(ブラックバイト)、ゆるキャラ感はまったくない。

西暦 和歴 事項
1640 寛永17 富山藩が加賀藩より分藩する。
(1681) 天和頃 万代常閑が富山へ反魂丹の薬方を伝授か。
1690 元禄3 富山2代藩主前田正甫が江戸城中で某大名の腹痛を快癒させたという。
1690頃 元禄頃 この頃、松井屋源右衛門が売薬行商を開始させたという。
1711 正徳元 この年以前「富山修験之他国売薬」があったという。
この頃、富山売薬が本格的にはじまる。
1740 元文5 富山藩が反魂丹商売人を調査し、売薬業支配にのりだす。
1749 寛延2 ばいにゃこさん:お寺で褒美に貰った霊薬を食べて化け猫(猫神様)になる。
(1764) 明和頃 この頃、売薬行商の組が成立する(18組)。
(1772) 安永頃 この頃、算学者中田髙寛により下枡(扇形丸薬製造器)が考案されたという。
ばいにゃこさん:人間社会辛すぎ。山奥に隠れる。
1807 文化4 この頃までに売薬行商の組が20組に増加する。
1816 文化13 富山藩に反魂丹役所が設置され、売薬を保護、統制する中核的機関となる。
1844 弘化1 この年富山藩領売薬行商人(帳主)は21組2,188人を数える。
1848 嘉永1 富山10代藩主前田利保が『本草通串』を著し、併せて『本草通串証図』を作らせる。
1853 嘉永6 富山藩領売薬行商人(帳主)は22組2,258人、藩への上納金約3,200両に達する。
1870 明治3 売薬取締規制が制定される。また、売薬の取締は大学東校の所管となる。
1873 明治6 売薬取締は文部省医務局へ移管される。富山売薬業者が舎密学校設立を請願する。
1874 明治7 医制公布され、医薬分業が定められる。
1875 明治8 売薬取締は内務省衛生局へ移管される。
新川県が売薬取締会社設立鋼領並条例を定め、売薬結社を進める。
1876 明治9 広貫堂が設立される。
1877 明治10 売薬規制による売薬税が制定され、売薬営業者(製薬)、販売請売者(販売)、行商人の3つに区分され、それぞれ免許鑑札取得、税金・鑑札料の上納を義務づけた。
1878 明治11 売薬行商人が発起人の中心となり、第百二十三銀行(北陸銀行の前身)が設立される。
1882 明治15 売薬印紙税規則が布告、売薬業者減少(明治16年1月1日施行)。
1886 明治19 売薬印紙交換規則が制定され、未使用の売薬印紙は交換できるようになる。
藤井論三がハワイに売薬を輸出し、富山売薬の海外進出が始まる。
売薬版画の絵師 松浦守美没。この頃、石版印刷が導入される。
1888 明治21 富山県売薬営業組合が設立される。
明治22 土田真雄が朝鮮半島で売薬配置を開始。
1894 明治27 富山の売薬業者により共立富山薬学校が設立される。
1895 明治28 中国、台湾などで配置売薬を開始。
1896 明治29 北陸商業銀行設立。この頃、売薬業者の発起で、県下に数種の銀行が設けられた。同じ頃から富山電灯(現在の北陸電力)が設置されたほか、富山県下の繊維、運輸、保険、出版、印刷などの会社設立に売薬業者が大きく貢献。
1898 明治31 共立富山薬学校が富山市立薬学校となる。
1901 明治34 富山売薬同業組合の設立が認可される。
1902 明治35 富山売薬信用組合(富山信用金庫の前身)が設立され、懸場帳担保による資金融資が可能となった。
1905 明治38 売薬税法が公布される。
1907 明治40 富山市立薬業学校が富山県立薬業学校となる。
1908 明治41 富山県下の売薬業者が団結し富山県薬業同業組合の設立が認可される。
1910 明治43 売薬税法が改正される。富山県立薬業学校が富山県立薬学専門学校となる。
1914 大正3 売薬法が公布され、資格制度や広告制限、方剤の統一が定められる。
1920 大正9 富山県立薬学専門学校が官立富山薬学専門学校に移管される。
1923 大正12 売薬税法が改定され、大正13年1月1日より施行される。
1926 大正15 売薬税法が廃止される(売薬印紙税廃止)。
この頃からメキシコ・ブラジルへの売薬海外進出計画が起こる。
1927 昭和2 富山市立富山薬学校(県立富山北部高等学校薬業科の前身)が設置される。
1932 昭和7 富山県売薬同業組合設置の薬業試験場が県に移管され、富山県売薬試験場となる。
富山県売薬行商人最寄会連合会が発会する。この頃満州国への売薬進出が始まる。
1934 昭和9 この頃売薬業者が国民健康保険法に反対の運動を展開する。
1938 昭和13 政府が国家総動員法で医薬品の配給や生産の統制を断行。進物の廃止、金箔・木綿の使用も規制される。
1943 昭和18 薬事法が成立し薬品営業取扱や売薬に関する規制が一元化。一戸一袋制が提案される。
1946 昭和21 厚生省の通知により、売薬を家庭薬、売薬製造を医薬品製造、売薬請売を医薬品販売と名称変更する。
富山県衛生部に薬務課が設置される。農協向けに家庭薬の配給が始まる(農協配置)。
1947 昭和22 全国配置家庭薬協議会(全配協)が設立される。
富山県家庭薬配置商業協同組合、製造業者により富山県薬業会が設立される。
1948 昭和23 薬事法が改正され、配置販売は都道府県の許可と身分証明書の交付が義務付けられる。
ハワイやタイなどに海外貿易が再興される。
富山北部高校、滑川高校に薬業科が設けられる。
1949 昭和24 富山大学が設置され、富山薬学専門学校も組み込まれ富山大学薬学部となる。
1951 昭和26 出先県ごとに配置家庭薬協議会が設立されるようになる。
1952 昭和27 社団法人富山県薬業連合会が結成される。富山県薬事研究所が設置される。
1960 昭和35 薬事法が改正される。配置販売業の従事届の提出、身分証明書交付と携行、配置員の指導監督、配置販売品目の制限などが盛り込まれる。さらに翌36年の同法施行令では、配置販売業者の資格が規定され、法的保護を受けることとなる。
1963 昭和38 富山大学大学院に薬学研究科が設置される。
配置販売業の改善発達や事業推進を目的に富山県配置家庭薬商業組合設立。
富山県薬業講習所(現 薬業研修センター)が設置される。
1966 昭和41 富山市に薬業課が設置される。(昭和23年に衛生課薬務係として発足)>
1970 昭和45 富山県に薬業振興課が設置される。
1974 昭和49 富山大学薬学部和漢薬研究施設が和漢薬研究所に昇格する。
1975 昭和50 富山医科薬科大学発足。翌年、富山大学薬学部が移管される。
1976 昭和51 GMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)が実施され、医薬品の有効・安全性が説かれ、全製薬工程に組織的な製造管理と生産計画の実施が図られる。
1977 昭和52 全国配置家庭薬工業組合(全工連)が設立される。
1982 昭和57 日本配置家庭薬商業組合(日配商)が設立される。
1984 昭和59 富山市売薬資料館が開館する。
1996 平成8 GMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)に関して、バリデーション(医薬品を製造する工程や機器についての、科学的な検証・確認・文書による記録・責任者の承認、という一連の流れ)が実施される。
1998 平成10 全国配置家庭薬協会、販売員の資質向上のため「資格認定試験」を実施。
1999 平成11 新指定医薬部外品となった栄養ドリンクなどが薬局以外の店舗でも販売可能になる。
2003 平成15 「医薬品の規制緩和に反対に関する要望書」を全国配置家庭薬協会が提出。
2006 平成18 薬事法一部改正、登録販売制度が創立される。
2009 平成21 改正薬事法により登録販売者制度 施行 第2類・第3類医薬品を扱う。
2014 平成26 薬事法及び薬剤師法の一部を改正する法律により、一般用医薬品はルールのもとでインターネットによる販売が可能になる。
ばいにゃこさん:人里に下りてくる。
2015 平成27 ばいにゃこさん:人間社会で居候生活をはじめる。
ばいにゃこさん:毎日18時間ゲームプレイ!廃人と化す。
2016 平成28 ばいにゃこさん:ブラック企業に就職する。
2017 平成29 ばいにゃこさん:ゆるキャラとして本格的に活動をはじめる。