江戸時代の富山売薬業

第五節 販売

富山売薬業における販売は、旅先藩内の行商によってなされる。
幕藩体制における領域経済の藩の中で、得意先を回って直接的に販売を行う、消費者に直接に面接して薬を売るのであるが、
旅先藩との関係が極めて重要な影響をもつのである。
したがって、まず販売するに際して条件事項をあげ、次いで、富山藩および旅先藩との関係から、この問題に迫ることにしたい。

一、仲間組の販売規制

(ア)旅先領内の販売の独占

旅先藩内において、薬の販売ができるのは、仲間組の者に限られていた。
高岡の岡本清衛門氏所蔵の安政頃の仙台藩における売薬について事情を記述した覚え書にも、
「越中売薬之儀産物にて、諸国へ売薬渡世之義は(中略)何れ之国にても其組之外は立ち入り申さざる掟に候、」
(「史料集」一九六九頁)とあるように、その販売は旅先領域内において仲間組が独占し、
組以外のものは行商することは許されなかった。
この仲間の地域的独占が、行商圏の全体に広範囲におよんでいた。

(イ)重配置の禁止

各行商人は得意先を確保し、経営を安定にする建前から、
すでに売薬が配置してある顧客の世帯にさらに重ねて配置販売することは禁じられた。
安政五年の滑川(カ)売薬縮方により発せられた売薬心得の達しにも、

一、狭み懸いたし候節にても、村々より置き来候御郡乃者のこれある候旨先方より申し聞き候は、堅く薬預け申しまじく候事、
一、薬重置候儀は、・・・改めて堅く相ならざる趣申し渡し置き候通り、厳重相い心得申すべき事、  (「史料集」一九六三頁)

とあり、いずれの仲間示談書にもよく同じ趣旨のことが記述されていた。
たとえば寛政十二年の奥中国組仲間示談帳に、「前々より重置之儀は堅く相い成らす候儀、仲間躰乃示談には・・・」
(「史料集」一一四頁)とされた。

(ウ)価格の協定

定住の店舗商人の仲間示談に通例となっていたように、行商にも同じく値引きの禁止をあげ、配置薬品について価格を協定した。
文政元年の薩摩組示談定法書にも、「彼地得意先において薬値段引下げ候義堅く相成り申さず、升押売等決して仕間敷候事」
(「史料集」六三三頁)とされた。これはとくに得意先の先取得権に連関させて重要視された。
仲間で規定した価格を値引きすることによって、得意を確保ないし拡大すると共に、
これによって重配置する危険があるからである。
たとえば文久三年の上総・下総売薬向寄仲間示談にも、「去年より仲間示談共薬置来り候御得意様之、跡より参り、
薬置段下直にいたし候間私の薬隠密して御遺之下され候由を以、直段格別に引下け置合いたし候者有之・・・」
([史料集]一九八五頁)として禁じている。

(エ)新懸の限定

販売価格の維持のために、得意先の新規獲得を制限した。
得意を増すため値引きするのを防ぐためであった。
行商による営業を安定させるには、得意先の量と質が一定していることが、実質的な条件である。
しかし「売薬之儀は得意先き盛衰も之あり、依て得意先相廃り申さざる様毎年新得意を仕立」て営業状態を一定にし、
すくなくとも現状を保持するために新懸は不可避的である。
このような新懸は、他の業者に全くない場合は認められる(「史料集一九九五頁」)
しかし一方で、新懸は営業の拡大発展であり、積極的経営を企てる業者には、わけても望ましいことであるが、
それよりも新懸に伴う仲間として受ける恐れのある弊害が強く考慮せられ、たとえば天保七年安芸向寄示談帳に、
「新懸の儀は勿論、挟懸等壱軒たりとも致し申しまじく候事」(「史料集」一九八頁)ときめた例などはたびたびみられた。
それが特に値引きによってなされることが考え合わせれて、これについてもあわせて厳重に禁止され、
文久三年の上総・下総向寄仲間示談には、「新懸いたし候刻、
薬直段下直二仕つり候間御預り下され候と申す者後日二相知り候はば、
数年相勤み申若江ものたり共仲間より足留の義御願い奉り候間、心得違これなき様若者江申聞置くべき候事」
(「史料集」一九八五年)とされた。
富山売薬業は掛売の配置制をとることであり、新懸・重置の薬を無名の袋に入れて預けたり、
そのために勢い定価より安くしたり、現金売をした場合も仲間組で取締った。
安政五年の越後組仲間示談定書のなかにも、

値段下げ、現銀売・・・その上無名の能紙袋杯之入置候もの間々これあり候・・・此義惣ち組一統の悉く指障り候義に付、
以来互に吟味合、右躰之者は密に名面相記し当番迄差出し、早速御断り可申しあくべき事、と規制した。(「史料集」二六八頁)

(オ)置合薬の処置

重配置は得意関係を破壊するので禁止されたが、もし二重配置があった時は、
後に配置した者の不利益に於て処分すべきことにされた。
寄示談はつぎのように規定した。

一、御得意様に薬置合之義ハ相互に薬袋見付け次第持参いたし、宿先にて其人之相渡し申すべき候、
尤も不足銭過分にこれ有候とも、其義ハ貪着仕らず跡より置かれた候者の損に御座候、且又御得意様ニ預ヶ薬の内、
其年御遺いなされ候代銭の義ハ取り立て、旅宿ニて出合の刻相渡し申すべく候事。

附り・・・御得意様之跡廻りいたし悪口抔申す事後日相知り候時は、其の趣意を仲間之打ち出し、寄合之砌ニ相糺し、
急度御断申し上げ御役筋の御指図を請い申す候    ([史料集]一九八三頁)

(カ)店売の卸値協定

売薬商人にははなはだ少ない例であるが、店に卸売する場合があった。
幕末期にいたって相当に資本を増大した経営にみられるもので、これについても掛けが協定された。
寛政十二年奥中国組仲間示談帳にはつぎのように歩引を明確にしている。

店々に薬卸し売の義は、是迄弐割引、三割引迄引来り候処、近年甚畏りに相成り、人之弐割引に致し置き候処は三割引、
又三割引は四割引と段々ニ引下ヶ・・・是迄成りあり候分ハ格別、以来堅く相憤しみ、三割迄を定法ニ相立、
夫より一向引方の無之様・・・             (「史料集」一一四頁)

店売とその割引政策は史料にあまり見当たらないし、またその例はあまりなかったものと推察される。
仲間による卸売価格の支配を示したものと解される。
以上のように売薬行商人は、販売の面について重配置や値引きを禁止し、土産物の贈呈による得意の横奪やその危険を排除し、
権利の侵害を禁じて販売利益の確保策をはかったのであった。
しかもこれらのことは旅先の領域経済を常に念頭にあいてなされるのであって、
ことに売上金が旅先藩で問題にされるのを心配した。
安政五年越後後組仲間示談定書にも、

一、旅先におひて莫大之金銀御国元へ持参候の様相咄し候もの数多これある由、此の義は甚だ商売之障に相成り申し候、
以来急度相憤み申すべく候、若し持参金高相尋る仁これあり候はば、至て纔の義相咄し申すべく候として、
旅先では目立たないように戒めあうのであった。

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