こんにちは、富山県の野良キャラばいにゃこです。

最近、ボクのファンになってくれる県外の方も増えてきたぞい。

ボクぁ置き薬で有名な富山県の売薬さんをモチーフにした野良キャラなんだけど

結構聞かれる質問が・・・「売薬さんって何?」

ボクのアイデンティティを根底から揺るがすショッキングな質問ぞい。

売薬さんといえば、日本人ならみんな知っとると思ってた。

でも考えてみたら現役の売薬さんも減り続けとる。富山県内でも700名を切ったそうだ。

「くすりの富山」と言われる富山県の礎を築いた売薬さんをもっと全国の人に知って欲しいぞい。

そんな訳でちょっと富山県の薬業の歴史を紹介してみたいと思う。

そもそも富山県は1639年に加賀藩から分藩して誕生したぞい。

1640年に富山藩主前田利次は富山城に一旦入城。

富山城は仮の城で、本当は婦負郡百塚に新たに城を築く予定だったんだけど

お金がなくて諦めて、富山城を居城とすることに決めた。

このお金の無い感じ・・・ボクぁめちゃくちゃ親近感が湧くぞい。

その後も富山藩の苦難は続きく。

生産性の低い領地に多くの家臣を抱え、参勤交代や江戸幕府からの委託事業などの財政難に苦しんだ。

そんな訳で、富山藩はなんとか経済基盤をつくろうと様々な産業を奨励しとりました。

そのひとつに薬業っすね。

富山県の薬業が有名になるきっかけと言えば1690年の江戸城腹痛事件だ。

江戸城で三春藩主が腹痛になった際

二代目富山藩主の前田正甫公が持っていた越中の秘薬「反魂丹」を分け与えたところ

腹痛が驚異的に回復したいう逸話だ。

その効能に驚いた諸藩が富山売薬の行商を懇請したことで

越中から全国に薬の販売が認められるようになったと言われとるぞい。

まぁ、江戸城腹痛事件があったことを裏付ける歴史的資料は無いんですけどねΣ(゚ロ゚ノ)ノ

売薬さんの代名詞とも言うべき「先用後利(せんようこうり)」を知っとるかい?

売薬さんは、当時貴重だった薬をあらかじめ家庭に預けておき「置き薬」

必要になった時にまずは薬を使ってもらい、その代金は後からいただく先用後利という独特の商売を行った。

今で言うところの「後払い」だ。

交通手段も通信手段もロクに無い当時は画期的な仕組みだった。

他藩の領民とも深い信頼と信用なくして成り立たない商売だ。

「先用後利(せんようこうり)」をもって、貧しい人々にも医療の恩恵を受けれるようにした点。

人と人との繋がりを大切に、信頼と信用で置き薬を広め日本全国の保健衛生の向上に貢献した点。

「病を治すのが先で利は後でよい」という志の高さ。

ボクぁ「売薬さん」をはやく無形文化遺産に登録すべきだと考えとるぞい。

越中の薬がよく効いたこと、国民の健康に貢献したいと願っていたのは間違いないだろう。

ただ当時は藩を越えて商売することはもちろんのこと

他の藩の商人が商売で得た財を藩外に持ち出すことも禁じられとった。

それが当たり前の時代に富山藩が「他領商売勝手」を諸藩に認めさせるのは容易なことじゃない。

「江戸城腹痛事件」でよく聞く薬だと噂になったからと、ほいほい諸藩が自領で商売させるはずがないのだ。

「江戸城腹痛事件」が本当にあったかどうかはともかくとして

たぶん、どっかの藩主に足元みられて「後払い」ならウチの藩で薬売っても良いよ。

もちろん領民とトラブルになってもウチの藩は責任とらんけどな!と無茶ぶりされ

財政的に追い詰められてた富山藩が、その条件でも良いから売らせてと通商協定交わし

富山藩の薬がタダで手に入る位の感覚で諸藩が飛びつき

そんな好条件ならウチの藩でも商売して良いぞと広がっていったのが

売薬さんが有名になっていった真相ではなかろうか?

たぶん最初は諸藩も富山藩の「先用後利」の売薬業が成功するとは思っておらず

置き薬を広めさせといて、失敗して撤退はじめたらどさくさ紛れに置き薬を接収してしまえと考えてた可能性すらあるとみとる。

車どころか道すらまともに無い場所もあった時代に、当時大変貴重だった薬を他領の領民に預け

次回に訪問したときに使用した分の代金だけを受け取る。

そんな「超ハイリスク」な「先用後利」という商法で採算がとれるように仕組み作ろうなんて

逆境の中からしか生まれてこない発想だとボクは思う。

当時どれほど富山県が貧しく、どれほど領民が苦しんどったか想像に難くない。

立山信仰の修験者のノウハウという売薬さんへと繋がる地下はあったにせよ

「先用後利」の売薬業を軌道にのせるため、試行錯誤を繰り返し、失敗と改善を積み重ね、文字通り血の滲むような努力したのだろう。

当時の売薬さんや関係者の苦労を思うと胸が締め付けられる思いぞい。

なんにせよ、置き薬で有名な売薬さんは「先用後利」をもって全国津々浦々に富山の薬を届け

医療が十分でなかった時代に日本中の人々の保健衛生の向上に貢献した。

多くの人々が病気の苦しみから救われた。

そして18世紀になると製薬と売薬は藩の一大事業へと成長した。

それは明治期以降も続き、売薬資本は富山県に様々な分野に投資され現代の富山県の礎となっとるのだ。

つまり何が言いたいかというと、売薬さんは凄い。

ばいにゃこさんを見かけたら「売薬さん」を思い出して!お願いぞい。

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